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親の思い

先日 ある人に返事を書きました

親とは かくありなんと思いながら

少し加筆させて頂き 整えたものです

 

親の恩愛は 山よりも高く 海よりも深いものがります

これを機会に皆さまも 親の立場とは何だと お考えになられて下さい

 

晴天のへきれきがあります

世の中には想定外のこと 夢想だにしない事があります

その度に人生の辛さを味わいます

 

確かにそういう不幸が 世の中にあるであろうが

まさか自分のところは大丈夫であろうと 人は考えます

 

また 親たる者は 我子の行末・身の振り方が

順風満帆であることを いつも願っています

かといって 親である自分が 子供の領域にまでふみこんで

手とり足とりするわけにはいきません

「親」という字は 木の上に立って見ると書きます

いつも傍観者であって つかず離れず そっと寄り添う立場であると思います

 

以前 母がこんな事を言っていました

人生の中で 親が子を思う時

心臓がとび出すほどの心配を 何回も経験するよとか

また 子を思う親の心配として こんな話しをしてくれました

 

下駄屋と傘屋に娘を嫁がせた親が

毎日泣いて暮らしていたそうです

 

晴れた日は 傘が売れないだろう

雨が降る日は 下駄が売れないだろう

と それぞれのところで 商売が繁盛しないだろう

生活が苦しくなりはしないかと 毎日嘆いて暮らしていたそうな

 

子を思う親の心配は 限りなくつきないものがあります

自分のことは どうでのいいから

せめて我が子の為に なんとかしてくれと 泣きつきたくなります

 

いつだったか TVである評論家が こんな事を言ってました

『あなたはガンです 余命3ヶ月です』と言われたら

ある人はかっこよく では 3ヶ月の間に やり残した事を精一杯やって

その日を迎えます と答えた人がいるけれど

そんなのは 偽りです

 

ほとんどの人は

「何で自分がこのようなめに合うのだ」

まちがいだろう うそだろうと 自暴自棄になり

世間を恨み 天を恨み のたうちまわるはずです

果して その心の嵐がおさまった時にこそ

その人の真価が 問われます

ここでようやく その事実を受け入れ

仕方がない ならばせめて残りの人生

なんとか自分なりに 前向きにやっていこうかと思える人は

ほんとうに勇気ある人だと思います

と答えていたのが印象的でした

 

人は得てして 自分にやさしく 他人に厳しいところがあります

人の失敗は 自分にとって 甘露の味がするといわれます

自分のところが安泰ならば それでいいんだとする嫌いがあります

他人が苦労していても

「大変ですね お気を付けて下さい お大事に」

なんて誠しやかに いけしゃあしゃあと 掛け声をかけるでしょう

心の中では「ああ 自分のところではなくて良かった」と

胸をなでおろす人がいるでしょう

 

ほんとにその人の為に 泣いてくれる人

我が事のように 悲しんでくれる人

自分の気持ちに 寄り添ってくれる人

 

こういうひとこそ 大事な人であります

かけがえのない隣人でありましょう

 

人間の幸せって 何でしょう?

それは 五体満足 健康であり 病気をしないことでしょうか

それは お金があり 仕事があり 家庭があることでしょうか

ほんとに 人間の幸せって 何でありましょうか

 

誠に 欲には際限がなく 尽きないものがあります

ひとつ満たされると 次はその上を つい求めたくなります

「我唯足るを知る」という言葉があります

ほんとに足ることを知ることが大事ですね

 

こんな言葉がありました

「は」 半分でよい

「ひ」 人並みでよい

「ふ」 普通でよい

「へ」 平凡でよい

「ほ」 程々でよい

・・・なるほど いいなと思いました

 

私の妹が 乳ガンで片方の乳房を切除しました

リンパまで転移しているかも知れません

でも 明るく生きています

 

私の学生時代の友人が 長女を出産した時

先天性の網膜剥離で 成人しても いまだに眼が見えません

この子が小さい時 私にこんな事を言いました

『おじちゃん 風の色は何色?』

 

私には 答えられませんでした

何色だかわからないけど きっと気持ちのいい色なんだろうね

ほら こういうふうに 肌で感じるもんだよ

なんて 意味プーでした

 

どんな境遇であっても 人は生きています

一所懸命 明るく生きていれば

きっと天は 必ずや 助けてくれると思います

自分が努力した分だけ 華は咲くはずです

私は 信じています

とりとめのない 意味プーの戯れ言を書いてしまいました

どうか お大事になさって下さい

 

 

 

 

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【手紙 9】

過日 私は ある寺の前を歩いていたら

山門に 今日の言葉なんてのがありました

思わず 足を止めて 書きとめてしまいました

それは

『過去と他人は 変えられないけど 未来と自分は 変えられる』

とありました

なんか ずい分 気に入ってしまいました

 

戯れ事(ざれごと)を長々 書いてしまいました

余計な事でした

 

どうかお元気で 健やかに 楽しく

この日々を お暮し下さい

いつまでも ご健勝であられますように

ご祈念いたします

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【手紙 8】

めげない・くじけない・あきらめないと

心に誓い 毅然として ぶれない事です

 

さすれば 結果は駄目であっても

後悔は 無いはずです

未練は 無いはずです

失敗しても 何かを得るはず

人生のこやしに なるはずです

出来るだけ やって やって やってみることです

駄目と 見極めたなら 一気に撤退することです

そして今度は 方針を変更して また挑戦して下さい

 

果たして そこに 新たな自分を発見できるでしょう

 

コップに水が半分あります

ある人は『ああ もうこれしかないや』

別の人は『おお まだ半分あるじゃん』

というように 思い方がそれぞれに違います

 

どうかプラス志向で 自分に都合よく

発想の転換で 世事(せじ)を乗り越えていって下さい

気分を一新して下さい

そして 良くやっているじゃないかと 

なによりも 自分で自分を ほめてやって下さい

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【手紙 7】

いいじゃないですか 人間なんですから

完璧を目指す必要はないんです

完全無欠なんか くそくらえです

適当に アバウトで いいじゃないですか

人間らしくて いいじゃないですか

 

自分をがんじからめにして 無理な約束と義務で

束縛する必要は ありません

ふわっとしてて 風に吹かれていれば いいじゃないですか

微動だにするのではなく 多少ゆれてても いいじゃないですか

転ばなければ いいんですよ

 

身は労すべし 心は楽しむべし です

 

ただ 後々に振り返った時

あの時の自分は あれが精一杯だった

いろんな選択肢は 確かにあったが

あれが自分にとっての 自分流であって

最善と思えた だからやったんだと

胸を張ってれば よろしいです

 

例え人から何やってるんだ 馬鹿だまぬけだと言われても

信じたことを やり通すことです

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【手紙 6】

そうやって これから先の将来の自分の在り方と

自分の愛する人達が いかに向後を生きていけるかの

算段も とらなければなりません

 

なにも 無理な背伸びをして やたら承諾したり

約束したりする必要はありません

自分に出来る範囲で 精一杯やればいいことであります

 

出来るものは出来る 出来ないことは出来ないと

是々非々のメリハリをつけることです

 

本当に生きるってことは 喜び・楽しみもまるけれど

辛さ・悲しさ・苦しさも いっぱいあります

人間である以上 悩みます

右顧左眄(うこさべん)します

人間は感情の動物です

あたかも波が寄せては返すかの如く

自信と希望がわいたと思ったら

不安と絶望が 交錯します

 

そして いつも勤勉な自分と

なまけ者の自分が 葛藤してます

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