想いである 『供養を形』にする場合
「その人にとって 心が満されれば それで
その人にとって 供養は為されました」
供養は 1回で完了するものではなく
心の中に 「想い」が沸きいずる限り
何度でも 自分の心が満たされる限り
何度でも その所作は続くものです
私にとって 供養の形としての想いは
事あるごとに 亡き父を思い浮かべています
手を合せ 黙祷もくとうして 心の中で父に
あれやこれや 語りかけています
父の写真を いつも持ち歩いたりなんかしています
先にも書きましたが 私的な自分のこだわりを
いちいち申し上げることは 恥ずかしいです
人は いろんな想いをもって 生きています
自分が 世間で見聞きした姿を
自分にすげかえて 反省したり 感じ入ったりして
今日こんにちを生きています
そういった環境の中で 自身の人格形成上
自身の資質向上の為 感性を豊にする方法があります
その方法とは 人の立ち振る舞いを見て
自分にすげかえて 眺めることです
その物差として
1.自分がいたく感動した・感銘を受けた姿・ことばがあった
2.自分の胸の奥の琴線きんせんにふれて思わず涙が出てしまった
・・・というあり様を 自分が見たり聞いたり
まのあたりにした時に 自分にとりこむ事です
特に 人が供養している姿を見た時
更に その人の心の内を 敢えて聞いた時
なるほど その人にとっての
精一杯の真心の表現なんだなと 感じ入って下さい
自分にすげかえて 人って素晴らしいな
人生っていいものだなと
自分もそのような感性でありたい と思うはずです
そういう事例を たくさん見たり 聞いたりして
心のポケットに 蓄えることだと思います
そうすると 人に対して 愛と情のある
温かい人間性が 培つちかうと思います
映画「白鯨はくげい」の中で こんな台詞せりふがありました
「この世に大きな眺めがある それは海だ
でも海よりも広大な眺めがある それは空だ
しかし 空よりももっと 偉大いだいな 崇高すうこうな眺めがある
それは 人の心だ」
この台詞に 痛く感動しました