アンケートをご紹介します。
本日もありがとうございました。
過日84才のご婦人から
写真他 身の回り品を お預りさせて頂きました
他界された50数年来の伴侶であったご主人の
思い出のお品が そこにはありました
お預かりした際 いくつかのそれぞれの箱の上に
きれいな紙に毛筆で こんな言葉が書いてありました
『長い間 ご苦労様でした さようなら』
私は その有り様を見て 感動しました
伺いましたところ 写真においては
「たかが紙 小さな写真ですけど 思い出がつまっております
同じ写真を 娘にひとつ託しました
それは 父親の働いている姿と 宴会ではしゃいでいる姿を
どうかいつまでも 胸に刻んでいてほしいという思いから
そして もうひとつ 同じ写真を これから先も
自分でずっと持ち続けていたいと思ったからです
でもこの度 3回忌の節目にあたり
これをもって 無に還そうと思いました」
・・・と穏やかに お話しをして下さいました
お顔には きっぱりとした 清々しさが 漂っていました
私は 家族の絆っていいな 素晴らしいなと
感銘を受けました
慎んで お焚き上げ供養をさせて頂きます
想いである 『供養を形』にする場合
「その人にとって 心が満されれば それで
その人にとって 供養は為されました」
供養は 1回で完了するものではなく
心の中に 「想い」が沸きいずる限り
何度でも 自分の心が満たされる限り
何度でも その所作は続くものです
私にとって 供養の形としての想いは
事あるごとに 亡き父を思い浮かべています
手を合せ 黙祷もくとうして 心の中で父に
あれやこれや 語りかけています
父の写真を いつも持ち歩いたりなんかしています
先にも書きましたが 私的な自分のこだわりを
いちいち申し上げることは 恥ずかしいです
人は いろんな想いをもって 生きています
自分が 世間で見聞きした姿を
自分にすげかえて 反省したり 感じ入ったりして
今日こんにちを生きています
そういった環境の中で 自身の人格形成上
自身の資質向上の為 感性を豊にする方法があります
その方法とは 人の立ち振る舞いを見て
自分にすげかえて 眺めることです
その物差として
1.自分がいたく感動した・感銘を受けた姿・ことばがあった
2.自分の胸の奥の琴線きんせんにふれて思わず涙が出てしまった
・・・というあり様を 自分が見たり聞いたり
まのあたりにした時に 自分にとりこむ事です
特に 人が供養している姿を見た時
更に その人の心の内を 敢えて聞いた時
なるほど その人にとっての
精一杯の真心の表現なんだなと 感じ入って下さい
自分にすげかえて 人って素晴らしいな
人生っていいものだなと
自分もそのような感性でありたい と思うはずです
そういう事例を たくさん見たり 聞いたりして
心のポケットに 蓄えることだと思います
そうすると 人に対して 愛と情のある
温かい人間性が 培つちかうと思います
映画「白鯨はくげい」の中で こんな台詞せりふがありました
「この世に大きな眺めがある それは海だ
でも海よりも広大な眺めがある それは空だ
しかし 空よりももっと 偉大いだいな 崇高すうこうな眺めがある
それは 人の心だ」
この台詞に 痛く感動しました
かかる中で 『供養』とはを 一言でいうならば
「かかり合った その存在に 想いを馳はせ
よすがを忍び 感謝する その心です」
その存在とは 愛する人であり 伴侶動物であり
広義の意味で 同胞どうほうであります
また 自分が心ひかれる物であり 場所でもあります
自分自身の心の中で その存在に対して
向き合って 寄り添って
胸の中で 語りかけるものでありましょう
それは 十人十色で
それぞれの人が それぞれの想いで 立場で
考えているものであり
その感じ方 とらえ方は 自ずと違いましょう
それはあくまで 自分自身の胸の内にある想いであって
それをいちいち 世間の人達に言ったり 聞かせたり
アピールするものではないと思います
その想いが いちいち周囲の人達の納得とか
同調を得なければならない
というものではありません
私は こんなふうに思います
立派でしょう!偉いでしょう!なんて
言うべきことではありません
黙もくして語かたらずで 謙虚けんきょであるべきです
なにぶんにも 私的な事なので
まわりが承認するものではなくて
自分自身が承知していればいいことなのです
なかなか自分の秘めたる想いを
周囲に吐露とろすることは
抵抗があり テレくささがあります
世の中には いろんな人がいます
それぞれの人には それぞれの個性があり
考え方があります
また その表現方法 仕方も 自ずと違います
何故ならば その人なりの
こだわり・らしさが あるからであります